「同じ服ばかり着る系人類」のささやかな抵抗と反省
皆さまごきげんよう!
古本屋で、難しい名前の人が書いた、『ブラック・スワン』という本を買ったので、早速開いてみると、蛍光ペンが八面六臂の大活躍を見せており、大変に読みやすい仕様となっておりました。
私も、本書に加筆修正を加えて世に放ち、この悲しさを、後世に引き継いでいこうと思います。
万が一ご縁がありましてもどうか穏やかに。
それで、今回は、
いつも似たような恰好をしている人
が何を考えているかを代弁しようと思います。
こういうズボラな人ってたくさんいますよね〜
かくいう私もその仲間です。
まず、被告になぜと問うても、おおよそこの現象、「めんどくさいから」という被告の独立宣言により、原告の燃えないゴミへと投げ込まれます。
しかし、本人も気付かないことがしばしばなのですが、面倒くさいというのは表面的な理由にすぎません。
めんどうくさいという言葉にはどういった思考のプロセスが含意されているのでしょうか。
これ、「外に出るまでは死ぬほど面倒なのに、一度外に出ると生まれ変わったかのように楽しい」問題とも同根です。
服を着るまでのプロセス
ここで、服を着るまでに必要なプロセスを整理してみましょう。
- 自分の着たいものを把握する
- 買う店に当たりをつけ、出掛ける
- 結局いろんな店を回ることになる
- ようやく服を手に入れる
- クローゼットから気分の服を選ぶ
はい、非常にバイアスかかってますね。
ですが、まぁこんなところでしょう。
う~ん、めんどくさい!
面倒くさいポイント、具体例を挙げると、きりないので、面倒くささに最も寄与する「めんどくさい・オブ・ザ・イヤー」の受賞者を考えてみましょう。
ジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャ
ジャーン!!!
ズバリ、「選択/決断」です。
なにがめんどくさいって「選択」するのがめんどくさいんですよ。
私たちは毎日毎日数え切れないほどの選択をしています。
そしてなにより、選択にかかる労力というのは意外にも計り知れないものなのです。
上記のプロセスも莫大な選択を必要とします。
私は、選択をするたび自分の中で「選択のテロメア」が短くなるのを感じます。
服など買おうものなら、その日の自分の選択寿命は半減してしまうことでしょう。
そのくらい、選択には体力が必要なのです。
私たちは、その労力を無意識に把握しており、これまた無意識に回避するために、似たような服を何着も着まわしているというわけです。
同じ服のローテによる「選択」のエコ!
私たちは、選択に妥協を許さぬ、選択経済学的エコロジスト。
「くだらない、関心のない選択に悩むくらいなら、やらないほうがましだ!」と。
私たちは同じ服を着続けることで、無自覚にこういう主張を繰り広げているのであります。
「面倒くさい」といういい加減な言葉の裏でこんなこと考えてるんですねぇ。(まあ、結局は衣服に興味がないというところに問題があるわけですが)
さっきの外出問題も同じです。
要は、外出するまでに待ち受ける選択の数々にK.O. されているのです。
ちなみに私、「悩むくらいならやらない」の適用範囲がかなり広く、むしろ選択に労力を割く対象を並べたほうが早いほどです。
しかし、その適用範囲は興味の範囲と被るわけですから、もっと外へ外へと視野を広げねば!と反省したりするときもあるわけです。
はい、いつも同じ服を着ている人というテーマでしたが、
周りにそういう人がいたら、理由を聞いてみてあげてください。
そして、同志はこの理論でどんどん人の反感を買ってください。
ま、それはともかく、自分がどの選択に労力を費やしているか、という視点は、自分が無意識に何を考えているか、あるいはその傾向を掴むのに役立ちます。
そして同時に、「悩むくらいならやらない」をうまく活用して、選択を節約することで、日常生活のパフォーマンスを向上させていきましょう!
ご拝読ありがとうございました。